2016.08/11(Thu)
C90夏コミ新刊のお知らせ
今回は、「出雲艦船技研」名義での初めてのサークル参加になります。C90夏コミ二日目(土)東1地区J17bです。

今回はWW2におけるイタリア駆逐艦を模型を使って解説する本になります。表紙は昼寝工房氏のイラストで、「オーダチェ」と「リベッチオ」になります。
艦これの実装で一躍有名になったマエストラーレ級駆逐艦「リベッチオ」。彼女がそれ以前のイタリア駆逐艦にくらべ、どうすぐれていたのか。HPモデルの作例を使って解説したり。

もとは日本駆逐艦「江風」となるはずだったイタリア駆逐艦「オーダチェ」のドイツ鹵獲後の姿の水雷艇「TA20」。彼女が、イタリア降伏後のドイツ地中海艦隊の1艦としてどのように戦ったのか。

他にも、ナヴィガトリ級、フォルゴーレ級、ソルダディ級などの代表的なイタリア駆逐艦。数的にイタリア海軍の主力であったスピカ級水雷艇などを収録。

タラント空襲の後は逼塞していたと思われがちなイタリア海軍の戦歴の簡易なまとめ、イタリア降伏後にドイツ海軍に鹵獲仕様された艦の顛末リストなども掲載。

本文モノクロ60ページで500円にて頒布いたします。
また、冬コミの既刊の日中海戦本も800円で頒布。

相当な暑さが予想される当日ですが、涼しい表紙で涼がとれることを祈ってお待ちしております。

今回はWW2におけるイタリア駆逐艦を模型を使って解説する本になります。表紙は昼寝工房氏のイラストで、「オーダチェ」と「リベッチオ」になります。
艦これの実装で一躍有名になったマエストラーレ級駆逐艦「リベッチオ」。彼女がそれ以前のイタリア駆逐艦にくらべ、どうすぐれていたのか。HPモデルの作例を使って解説したり。

もとは日本駆逐艦「江風」となるはずだったイタリア駆逐艦「オーダチェ」のドイツ鹵獲後の姿の水雷艇「TA20」。彼女が、イタリア降伏後のドイツ地中海艦隊の1艦としてどのように戦ったのか。

他にも、ナヴィガトリ級、フォルゴーレ級、ソルダディ級などの代表的なイタリア駆逐艦。数的にイタリア海軍の主力であったスピカ級水雷艇などを収録。

タラント空襲の後は逼塞していたと思われがちなイタリア海軍の戦歴の簡易なまとめ、イタリア降伏後にドイツ海軍に鹵獲仕様された艦の顛末リストなども掲載。

本文モノクロ60ページで500円にて頒布いたします。
また、冬コミの既刊の日中海戦本も800円で頒布。

相当な暑さが予想される当日ですが、涼しい表紙で涼がとれることを祈ってお待ちしております。
スポンサーサイト
2015.12/17(Thu)
冬コミ新刊のお知らせ
ブログではごぶさたしております。
冬コミ2日目の12月30日(水)に東K51b「はにわ鍋」にて「RED SUN&BLUE DRAGON〜模型で見る日中海戦史 改訂版」を委託します。夏に出した本の改訂版で、日本海軍が対峙した中国海軍を模型を使って解説する本となります。今回の表紙は昼寝工房氏の健康的にえろい寧海さんが表紙です。

前回わかりにくかった日中戦争に至るまでの中国海軍の概史を盛り込み、艦歴の説明も資料を精査して見直しました。

日本で建造された中国海軍軽巡「寧海」の数奇な生涯や、軽巡「夕張」が他の日本軽巡にさきがけておこなった水上戦。中国魚雷艇の戦歴。そういったマニアックな艦歴と模型の紹介になっております。

前回お手に取られた方も満足できる改訂版になるよう努力しましたので、よろしくお願いします。
冬コミ2日目の12月30日(水)に東K51b「はにわ鍋」にて「RED SUN&BLUE DRAGON〜模型で見る日中海戦史 改訂版」を委託します。夏に出した本の改訂版で、日本海軍が対峙した中国海軍を模型を使って解説する本となります。今回の表紙は昼寝工房氏の健康的にえろい寧海さんが表紙です。

前回わかりにくかった日中戦争に至るまでの中国海軍の概史を盛り込み、艦歴の説明も資料を精査して見直しました。

日本で建造された中国海軍軽巡「寧海」の数奇な生涯や、軽巡「夕張」が他の日本軽巡にさきがけておこなった水上戦。中国魚雷艇の戦歴。そういったマニアックな艦歴と模型の紹介になっております。

前回お手に取られた方も満足できる改訂版になるよう努力しましたので、よろしくお願いします。
2015.08/02(Sun)
夏コミ新刊のお知らせ
夏コミ1日目の8/13(金)に東P−51a「はにわ鍋」において委託のかたちで、新刊を出します。
「レッドサン・ブルードラゴン〜模型で見る日中海戦史」というタイトルで、日中戦争(日華事変)で日中海軍がどう戦ったか、艦船模型の作例と艦歴で解説する本です。

表紙は友人の昼寝工房氏に描いてもらった「寧海」さん。北洋水師の意志を継いだ龍の絵柄と、彼女が行きたかったであろう外洋が素敵です。
本文は、「夕張」が他の日本軽巡にさきがけて戦った水上戦の話や、

日本が輸出した軽巡「寧海」と、その妹の話。

あとは、中国が国産した「軽巡洋艦」や「出雲」を雷撃した中国魚雷艇「史102」の話などをのせています。
なにぶん、一般参加は長くとも本出すのは初めてゆえ、いろいろアレですが、手の取っていただけると幸いです。
「レッドサン・ブルードラゴン〜模型で見る日中海戦史」というタイトルで、日中戦争(日華事変)で日中海軍がどう戦ったか、艦船模型の作例と艦歴で解説する本です。

表紙は友人の昼寝工房氏に描いてもらった「寧海」さん。北洋水師の意志を継いだ龍の絵柄と、彼女が行きたかったであろう外洋が素敵です。
本文は、「夕張」が他の日本軽巡にさきがけて戦った水上戦の話や、

日本が輸出した軽巡「寧海」と、その妹の話。

あとは、中国が国産した「軽巡洋艦」や「出雲」を雷撃した中国魚雷艇「史102」の話などをのせています。
なにぶん、一般参加は長くとも本出すのは初めてゆえ、いろいろアレですが、手の取っていただけると幸いです。
2015.06/16(Tue)
ポーランド駆逐艦ブルザ
ネットでの活動のメインがツイッターになってしまってるのですが、ブログをアーカイブがわりにすべく更新再開しようかと。
まずは、去年安売りで入手したニコモデルのポーランド駆逐艦ブルザ。
実艦は第一次世界大戦後に設立されたポーランド海軍が、フランスに発注して作った駆逐艦です。ポーランド海軍は設立当初からフランス海軍の支援をうけてました。そこで、フランス海軍のブーラスク級駆逐艦をもとにして作られたのがブルザ級駆逐艦です。
ブルザは、1926年に起工さてたもののフランス重工業の疲弊などもあり、竣工は6年後の1932年8月10日までずれこみます。そのため、2番艦であるはずのヴィヘルの方が先に竣工したことからヴィヘル級と呼ばれることもあります。
さらに、ブルザは竣工前からトップヘビーや搭載するフランス製火器や機関への信頼性がポーランド側から疑問視され、それは改正後も問題として残ることになります。

一見スマートな外見ですが、よくみると1930年代という日本では特型駆逐艦が竣工している時期に煙突は3本。さらに探照灯台と連結した大型マストなど、トップヘビーなのがうかがえます。
ポーランド海軍は仮想敵をドイツ海軍として戦備を整えてきたものの、単独での対抗は無理であると自覚をしていました。そのため、情勢が悪化した開戦直前の1939年8月30日にペギン作戦を発動。これは海軍の主力の駆逐艦駆逐艦ブルザ、グロム、ブリスカヴィカをイギリスに脱出させて戦闘を継続するというものです。
姉妹艦のヴィヘルは9月1日に空襲をうけながらもグディニアからヘラへと移動。9月3日には、ドイツ駆逐艦レーベリヒト・マースらと交戦。それを撃退するものの、Tr.G.186に所属するJu87の急降下爆撃によって沈められています。

一方、イギリスへと脱出したブルザはスカパ・フローへ移動。1940年4月からノルウェー作戦に参加したあとにフランス沿岸のカレー沖に進出。敵拠点砲撃中の5月24日に空襲によって艦首を大破します。5月3日にはポーランド駆逐艦グロムもノルウエーで沈んでるので激戦続きだったのがわかります。
修理が終わったブルザは1940年9月から大西洋での船団護衛に従事しますが、しだいにフランス製装備のスペア不足と、トップヘビーからくる航洋性の悪さが問題視されるようになります。そこで1942年に大規模な修理と改装をうけ、A、Xの主砲2基と後部発射管を撤去して、ヘッジホッグやポンポン砲やレーダーを装備します。これは同時期の英仏の旧式駆逐艦の船団護衛艦向けの改装に準じています。
改装なったブルザは、大西洋での船団護衛に活躍し、時には南大西洋まで進出します。また、1943年2月には独潜U606を共同撃沈。
第二次大戦を生き抜いたブルザですが、祖国の共産化により帰国は1951年にずれこみ、記念艦や練習艦になったあとに1977年に解体されて激動の生涯をとじます。


さて、このニコモデルの1/700のブルザは反りも少なくシャープな出来だったのですんなり完成しました。
主砲やボートまでレジンによって繊細に再現されていて、流用できるキットがないフランス製13cm単装砲がシャープに再現されていたのは助かりました。艦橋の13mm連装機銃は破損していたのですが、日本海軍のと似たホチキス製だったので、フジミのものを流用しました。マストはレジンパーツに
合わせて太めの0.75ミリのプラ棒です。
キットは開戦時前後を再現したようで、塗装は彩色写真などを参考にクレオスの明灰白色とピットの海自グレー(2)で塗装しました。

日本の陽炎型駆逐艦天津風とポーランド駆逐艦ブルザ。日本の駆逐艦の低シルエットぶりが際立ちます。
旧式ながらも3本煙突がモダンでどことなくオシャレなブルザ、なかなかいいですし、同時代のフランス駆逐艦をうかがえる良いキットでした。
艦これには実装されることもないでしょうが、万一実装されたらレーベを「妹の仇!」として敵視しそうですね。
まずは、去年安売りで入手したニコモデルのポーランド駆逐艦ブルザ。
実艦は第一次世界大戦後に設立されたポーランド海軍が、フランスに発注して作った駆逐艦です。ポーランド海軍は設立当初からフランス海軍の支援をうけてました。そこで、フランス海軍のブーラスク級駆逐艦をもとにして作られたのがブルザ級駆逐艦です。
ブルザは、1926年に起工さてたもののフランス重工業の疲弊などもあり、竣工は6年後の1932年8月10日までずれこみます。そのため、2番艦であるはずのヴィヘルの方が先に竣工したことからヴィヘル級と呼ばれることもあります。
さらに、ブルザは竣工前からトップヘビーや搭載するフランス製火器や機関への信頼性がポーランド側から疑問視され、それは改正後も問題として残ることになります。

一見スマートな外見ですが、よくみると1930年代という日本では特型駆逐艦が竣工している時期に煙突は3本。さらに探照灯台と連結した大型マストなど、トップヘビーなのがうかがえます。
ポーランド海軍は仮想敵をドイツ海軍として戦備を整えてきたものの、単独での対抗は無理であると自覚をしていました。そのため、情勢が悪化した開戦直前の1939年8月30日にペギン作戦を発動。これは海軍の主力の駆逐艦駆逐艦ブルザ、グロム、ブリスカヴィカをイギリスに脱出させて戦闘を継続するというものです。
姉妹艦のヴィヘルは9月1日に空襲をうけながらもグディニアからヘラへと移動。9月3日には、ドイツ駆逐艦レーベリヒト・マースらと交戦。それを撃退するものの、Tr.G.186に所属するJu87の急降下爆撃によって沈められています。

一方、イギリスへと脱出したブルザはスカパ・フローへ移動。1940年4月からノルウェー作戦に参加したあとにフランス沿岸のカレー沖に進出。敵拠点砲撃中の5月24日に空襲によって艦首を大破します。5月3日にはポーランド駆逐艦グロムもノルウエーで沈んでるので激戦続きだったのがわかります。
修理が終わったブルザは1940年9月から大西洋での船団護衛に従事しますが、しだいにフランス製装備のスペア不足と、トップヘビーからくる航洋性の悪さが問題視されるようになります。そこで1942年に大規模な修理と改装をうけ、A、Xの主砲2基と後部発射管を撤去して、ヘッジホッグやポンポン砲やレーダーを装備します。これは同時期の英仏の旧式駆逐艦の船団護衛艦向けの改装に準じています。
改装なったブルザは、大西洋での船団護衛に活躍し、時には南大西洋まで進出します。また、1943年2月には独潜U606を共同撃沈。
第二次大戦を生き抜いたブルザですが、祖国の共産化により帰国は1951年にずれこみ、記念艦や練習艦になったあとに1977年に解体されて激動の生涯をとじます。


さて、このニコモデルの1/700のブルザは反りも少なくシャープな出来だったのですんなり完成しました。
主砲やボートまでレジンによって繊細に再現されていて、流用できるキットがないフランス製13cm単装砲がシャープに再現されていたのは助かりました。艦橋の13mm連装機銃は破損していたのですが、日本海軍のと似たホチキス製だったので、フジミのものを流用しました。マストはレジンパーツに
合わせて太めの0.75ミリのプラ棒です。
キットは開戦時前後を再現したようで、塗装は彩色写真などを参考にクレオスの明灰白色とピットの海自グレー(2)で塗装しました。

日本の陽炎型駆逐艦天津風とポーランド駆逐艦ブルザ。日本の駆逐艦の低シルエットぶりが際立ちます。
旧式ながらも3本煙突がモダンでどことなくオシャレなブルザ、なかなかいいですし、同時代のフランス駆逐艦をうかがえる良いキットでした。
艦これには実装されることもないでしょうが、万一実装されたらレーベを「妹の仇!」として敵視しそうですね。
2014.01/04(Sat)